【馬が見られるお祭り:春日若宮おん祭】
前回のブログで京都三大祭の一つ「時代祭」をご紹介しましたが、
その時コメントをくださった方から福島県相馬市で行われる相馬野馬追(そうまのまおい)というお祭りを知るに至り、興味を持っていました。
すると先日、偶然あるテレビ番組で調教師の鈴木伸尋さんが引退した競走馬「ユビキタス」に会いに行くという特集があり、
向かった先は、福島県南相馬市・・・もしかして、この場所は・・・
13歳になったユビキタスは、ある会社の社長さんに所有されており、鈴木調教師と再会した時は放牧されていました。
競走馬時代から喉の病気を持っており、現在は牧場で穏やかな引退生活を送っているそうですが、
その社長さんが見せてくれた写真には・・・なんと、朱色の艶やかな古式馬具を纏った
勇ましいユビキタスの姿が!
そう、やはり相馬野馬追で活躍したそうなのです。
引退馬の余生といえば、乗馬クラブで乗馬になるか、セラピーホースとなって施設で働くかぐらいしか存じませんでしたが、
ユビキタスのように普段は牧場で過ごし、お祭りで活躍するというケースもあるのですね。
この地域では相馬野馬追があるから馬を所有している方もいらっしゃるようです。
その方々にとっては、年に一度の晴れ舞台なのかもしれません。
この趣ある風習が続いてくれれば、引退競走馬の選択肢も広がるのではないかと思いました。
さて、前置きはこれぐらいにしてお話はおん祭に戻ります。
おん祭は、奈良県奈良市で行われている行事です。今年は、12月17日(月)に中心神事が行われます。
<おん祭の起源>
春日大社の摂社である若宮様に長年の大雨・飢饉・疫病の根絶を祈願したのが始まり。
長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、
時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。
若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりです。
御霊験はあらたかで長雨洪水も治まり晴天が続いたので、以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百八十有余年にわたり途切れることなく、今日に至ります。
12月17日の中心神事は、午前0時 遷幸の儀(せんこうのぎ)午前1時~午前2時 暁祭(あかつきさい)午前9時 本殿祭(ほんでんさい) と続き、
馬が登場するメインイベント、午後0時〔奈良県庁前広場出発〕お渡り式を迎えます。
<お渡り式とは>
華やかな装束に身を包み1,000名が古都奈良を練り歩く御旅所にいらっしゃる若宮様のもとへ、芸能集団や祭礼に加わる人々が社参する1000人規模の行列。
平安時代からの時代装束を着た行列には、馬が50頭ほど加わっており、全国でも有数の規模を誇る時代行列として有名です。
「影向の松(ようごうのまつ)」の前で「松の下式(まつのしたしき)」を行ってお旅所へ練り込みます。
中心は平安時代から江戸時代に至る風俗を満載した伝統行列の部分である。
創始の際には「楽人・日使・巫女・伝供御供・一物・細男・猿楽・競馬・流鏑馬・田楽」とその骨格を整えており、旧儀が長く守られながら、時代の流れに応じた姿を見せるのがこのお渡りである。
県庁前から出発し、近鉄奈良駅より油阪を経て、JR奈良駅前からまっすぐ東へ三条通りを登り、
一の鳥居を入ってすぐ南側の「影向の松(ようごうのまつ)」の前で「松の下式(まつのしたしき)」を行ってお旅所へ練り込んできます。
多くの観光客がその艶やかな時代行列を見ようと、年末のどこか忙しく寒く冷たい空気の中公道脇にひしめき合って見ている光景を見ていると、今年の終わりを実感します。
空気は冷たくても、お渡り式の馬や時代装束を身に纏った人々を見ていると心は晴れやかになるものです。
行列の後半に続く「競馬」は、一の鳥居を通過するとイベントが発生します。
<競馬>
午後1時頃〔-ノ鳥居内馬出橋よりお流所勝負榊まで〕 競馬 現在は馬出橋から出発し、お旅所前の勝敗榊まで競う。
舞楽の蘭陵王と納曽利はこの競馬の左右の馬の勝負によって演奏された勝負舞であるので、競馬の勝敗により左舞の蘭陵王と右舞の納曽利の順番が決められる。
二頭の馬が直線を襲歩で駆け抜ける姿は圧巻です。
普段乗馬クラブでは見られないスピード感で走る馬を間近で見られる貴重なイベントだと思います。
今回は、馬が登場するイベント中心でご紹介していますがどなたでも年末気分を味わえる趣ある行事だと思います。
奈良へお越しの際は是非、お立ち寄りください。
参考資料:
古都ネットプレス特集記事「春日若宮おん祭」
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