馬術入門(23)【~馬にたずさわる人全てが調教者~81】
前回の章では、チェックする項目が多すぎて全ての項目を覚えられないでしょうから騎乗前に重点項目を決めておき、そこは細かくしっかり、その他はおおざっぱでかまいません。
自身の全体像をしっかりイメージした上で重点項目で練習した部分を確実に自分のものとして身に付けていく事です。
馬術に於いて厄介なのは、騎乗者の訓練に於いて、その訓練に使用する馬の気性、性格、頭の良し悪し、馬自体の調教されているレベルとその習熟度などによって全く違った馬の反応になってしまうことです。
・例えば、1つの基本的な運動を正確にしかも確実に実行しようとする訓練を実施しようとしているとします。
仮にその馬の調教レベルが高く気の良い馬であるとしたなら、騎乗者が指導者の指示することの1つか2つの事だけしか動作する事が出来なかったとしても、初めは馬も何をしたら良いのか解らずに求められている動作にならなくても、何回も繰り返し行っているうちに、騎乗者の動作が極端に違うことをしていなければ、馬も考えてこれかな?こうしろと言ってるのかな?と騎乗者の意思を何とか理解して指示通りの事をしようと忖度してくれます。
しかし、本来正しい扶助とは、馬がその動作をするために馬自身最もその動作をしやすい姿勢を取らせる事で望む動作を要求していかなければなりません。
馬自身苦しい態勢の中で動いてみた動作がたまたま、騎乗者が求めていた動作に一致したとして誉められても、再び同じ動作で指示をしても馬は同じ動きを正確にまた確実にはしてくれません。
さらに、厄介なことに騎乗者は馬がたまたましてくれた動作で“これだ、こうすれば良いのだと”自身の未完成で不充分な扶助を完璧な扶助かのように勘違いしてしまう事になってしまうのです。
馬にしても苦しい態勢の中でたまたました動作を誉められても、自信を持ってこれをすれば良いのだとは思っていないでしょう。
ですから、当然そのような扶助では馬も苦痛を受けると同時に不安になりやがて動作をしなくなってしまいます。
さらに、悪いことはやらなくなったのは馬が悪い、さぼっているとばかりに馬を叱り付け蹴るや叩くやと言った行動に出てしまうことです。
続きは、次回に
令和5年6月
長谷川 雄二
このページをシェアする