ピクシー何で解るの!【~馬にたずさわる人全てが調教者~ピクシー追悼回②】
3才の頃は、ピーの馬房に顔を出す時は必ず名前を呼んで人参を上げるようにしていました。
この頃は普通に名前を呼ばれたらその後人参をもらえるだろうと条件反射的に鳴いていました。
しかし、4才頃になると人参をもらえるからではなく、私達家族を探す様になりました。
馬繋場で家族の一人でもそばに居れば良いのですが誰もいなくなると、とたんに”ビービー”鳴いて大騒ぎするようになりました。
これは年齢を重ねる毎に強くなって行きました。
6才と3ヶ月の時、乗馬クラブを変わってからこの傾向はさらに強くなった様に思います。
ここでは私は毎日通っていたのですが、妻は週に1,2回しかピーに会いに来られなくなりました。
私がピーのそばで作業している時の事です。
馬房からは全く見えない100m程離れた階段を妻が降りて来る時、特に声を出したり、
階段を降りるのに大きな音を出したりしている訳でもないのに”ブフフウーン”と鳴き出すのです。
これは毎回、妻が来たことを私に知らせてくれました。
8才と8ヶ月の時、元の乗馬クラブに戻りました。
ここでは家の息子達が年に1.2回クラブに登場しますが、息子達の時は顔をまだ見ていなくても声を聞いたら、声を出さない時は顔を見て”ブフフウーン”と鳴きます。
息子達はピーが2才で我が家に来た時から、長男はピーが6才になるまでの4年間は大学が休みになると帰ってきてピーに会いに通っていました。次男も毎週来ては障害をしていました。
馬にとって3才位からの数年間はその馬の性格形成に大きな影響があるのではないかと思います。
ピーは生涯、家族以外の人が乗ることはありませんでした。
そんな環境や状態、状況で育った為か家族をはっきりと認識していたと思います。
またピー自身自分も家族の一人で有ると思っていたように思います。
平成29年12月
長谷川 雄二
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